今回の突撃レポートでは、昨年11月に駐マレーシア特命全権大使として着任された、四方敬之大使にお話を伺いました。まず【前編】では、読者の皆様に少しでも大使を身近に感じていただくべく、「特技」、「座右の銘」、「ストレス解消法」などなど、これまで他のどこのインタビュー記事でも見たことがないような、様々な角度からの質問にお答えいただきました。そして次回【後編】では、外交官としての数々のご経験について、また、マレーシアや日馬関係への思いなどについてもお伺いしています。
編集委員
梅枝 雅子(国際交流基金クアラルンプール日本文化センター)
吉川 里香 (マレーシア三井物産株式会社)
生まれは京都市左京区。京都大学と平安神宮の間の、京大の裏あたりです。大文字山の麓で銀閣寺が近いところでもあります。小学校2年生の時にそこから右京区の嵯峨・嵐山の方に引っ越しました。名勝でいうと、広沢池や大覚寺に近いあたりです。高校3年生の時に1年アメリカに留学しましたが、それ以外は大学も含めて京都なので、社会人になるまでは京都で生まれ育った、と言えます。
O型、牡羊座です。
兄が1人。同じく生まれも育ちも京都ですが、大学入学後から神戸にいます。
目立った特技はないですが、自身の関心という意味では、「異文化コミュニケーション」に関心があります。高校の時の留学では、アメリカ中西部のミズーリ州の農家に1年滞在し、現地の高校に通いましたが、アメリカの高校には「コミュニケーション」というクラスがあり、ディスカッション、ディベート、スピーチなどを行うんですね。その後外交官になって、アメリカ、フランス、イギリス、中国、マレーシアといろんなところで勤務していますが、異なるバックグラウンドの方との付き合いをして仕事をしてきている、というのはまさにその関心とつながっている、と言えると思います。また、駐在したわけではなくとも、中東の湾岸地域を担当していた1997年から99年には、本省(東京)から出張でアフガニスタンやイラン、イラク、サウジアラビア、UAEなどにも出張していました。
尊敬する個人の名を挙げるというのとはちょっと違いますが、映画にもなった「長州ファイブ」の5人でしょうか。1863年の幕末の頃に長州藩の若者5人がイギリスに密航し、UCL(University College London)の教授に面倒を見てもらって産業革命後のイギリスから多くを学んだのですが、その5人がそれぞれの分野で、明治維新後の日本の近代化に大きく貢献しています。初代総理大臣の伊藤博文、初代外務大臣の井上馨、新橋―横浜間の鉄道開設に大きく貢献し「鉄道の父」と言われた井上勝、「工学の父」山尾庸三、そして造幣局の設立と発展に尽力し「造幣の父」と呼ばれた遠藤謹助です。「留学」もそうですが、人に投資をするとこんなにも大きなインパクトがあるのだな、と。近代日本を築く上で大きな足跡を残した人たちと言えると思います。
そうですね、今マレーシアにいるのでマレーシアに引き付けてお答えしますと、1982年以降、マハティール首相のもとでLook East Policy(東方政策)が進められてきたわけですが、世の中は変化しつつあります。私の関心は、「今」のマレーシアの若手起業家や、マレーシアの多様な文化を体現するような文化人、例えば若手のアーティストなどにあります。できれば、JACTIMの若手の方とで、今後の日本とマレーシアの在り方を、「Look East」ではなく「Look at Each Other」的な視点で考えていきたいです。日本とマレーシアの若手の起業家同士でジョイント・ベンチャーで何かできると良いなと。
来年8月末にBukit JalilのパビリオンでWorld Bonsai Conventionが開かれるそうで、最近、マレーシアの盆栽・水石ソサエティー関係者と会ったのですが、マレーシアでこんなにも一生懸命盆栽をやってくれているんだ、と感じ入りました。また、数日前には、マレーシア合気道協会の30周年の行事に参加しましたが、ここでも、マレーシアの方が、日本文化を「取り入れる」だけでなく、それを「次の世代にも継承」しようとしてくれており、その姿勢や熱意にとても感動しました。
「時間」です。本当はマレーシアの地方をゆっくり旅行するなどして、もっとこの国について理解を深めたいのですが、なかなかそういう時間は取れないですから。
外交官としての最初の仕事が、在アメリカ合衆国日本国大使館でのプレス(メディア)担当でしたので、その後の外交官人生を通じて、朝起きたらまずメディアをチェックする、ということはルーティンになっています。最初に日本語・英語のニュースをチェックし、オフィスでも午前中はBloombergをつけ、昼と夜のNHKのニュースを見ます。最近は国際情勢が動いているので、夕方からはCNNをチェックしますね。ルーティンという意味では、1日3回はコーヒーを飲みます。
あとは、少しはマレー語を勉強したいと思ったのですが、Duolingoにはマレー語がないのでインドネシア語をやってみたり、別のLingというアプリでマレー語を、1日10分でもいいからやることにしています。全然上達もしないし単語も暗記できている感じもしないのですが、Duolingoが寝る前にリマインダーをくれるので(笑)、それのおかげで続けている感じです。
また、平日はなかなか出来ないのですが、週末でしたら、ゴルフの打ちっぱなしをしながらAudibleで英語の本を読む(聴く)というのはよくやります。Audibleはもう10年くらい続けています。世界のどこにいても、新刊が出るとすぐに入手できるので、毎月3冊ずつくらいのペースで聴いています。
週末も行事への参加など仕事が入ることが多いので一日空いていることの方が珍しいのですが、下手なゴルフは誘われると社交としてやっています。前職の官邸勤務時代は、ゴルフに行けるような状況ではなく、新型コロナ感染症の拡大でアメリカから2020年5月に帰ってきて、今回マレーシアに来るまでは、ゴルフには1度も行きませんでした。ですが、今は家の裏にゴルフコースがあって、仕事が入っても駆けつけられますしね。あとは、こちらに来て始めたのがピックルボールです。マレーシアの国会議員の方から誘われて、時々日曜朝にやっています。あとは、食べ歩きですね。マレーシアのローカルフードや、新しいお店を見つける、といったことは時間があればやっています。
6-7時間くらいです。
飲み歩きですかね(笑)。お酒は飲みすぎないように気を付けつつ、また、食事も食べ過ぎに気を付けつつ、、、。あとは、マレーシアのカラオケの機器を買いまして、JOYSOUNDにも月会費を払っています。これまで3回くらいはやりました。これも、もう少し頻繁にできるとストレス解消になるかもしれません。
甘いものも好きなんですが、マレーシアは砂糖が多く含まれている飲食が多いので、バランスを取るよう心がけています。また、平日になかなか運動ができないので、週末に少しは身体を動かすようにしています。
本を3冊挙げるとすると、『落日燃ゆ』、『決定の本質』、『マリコ』です。
『落日燃ゆ』(著者:城山三郎氏)は、日米戦争に反対していたにも拘わらず軍部に押し切られ、戦後A級戦犯として文官で唯一処刑された広田弘毅氏(戦前の元外交官・首相)の生涯を追った話です。外交官になろうと思ったときに読んでいた本ですので、その意味で、人生に影響を与えたと言えると思います。
『決定の本質(英題:Essence of Decision)』は、ハーバード大学のグレアム・アリソンという教授が1970年頃に出している本ですが、キューバ危機の隣の米国政府の政策決定を概念的モデルを使って分析したものです。実務と学問の接点として非常に興味深いモデルを示しています。政策決定の現場においては、たとえば、「米国政府は米国の国益に基づいて行動する」、というのが合理的モデルなのですが、往々にして、政府の意思決定プロセスはそうではなく、意思決定権のある人たちの様々な意見によって、合理的な政策とはまた別のものが出てくる、として、これをBureaucratic Modelと呼んでいます。この本は、ハーバード大学のケネディスクールに留学していた時の基本書でもありました。アリソン教授にも会ったことがあります。
『マリコ』は柳田邦男氏のノンフィクション作品でテレビ番組にもなっているもので、マリコ・テラサキ・ミラーという女性の半生を描いたものです。この方は、寺崎英成という戦前の外交官とアメリカ人女性グエンさんという方のお子さんですが、実はこの「マリコ」という名前が、日米開戦直前の時期に、寺崎英成が米国で収集したアメリカ側の情報を、電話で、当時外務省アメリカ局長であった兄、寺崎太郎に伝える際に、アメリカを指す「暗号」として使われていたんです。もうマリコさんは亡くなられていますが、在米国日本国大使館に勤務していたときにワイオミング州のご自宅を訪ねていってお会いしたことがありますし、叙勲されて日本に来られた際にも交流があったので、挙げてみました。
高校の時に参加した留学プログラムはAFSというプログラムだったのですが、その関係で、京都で留学生受け入れのボランティアをしていました。ホストファミリーやホストスクールを見つけたり、カウンセラー的な仕事です。また、サマーキャンプと言って、日本の高校生、留学生と一緒に京都市から離れたところでキャンプをやる、といった活動もしていました。大学では、英語のディベートをやっていて、2年間くらい、相当時間を費やして取り組んでいましたね。アメリカから来たディベータ―とディベートしたり、というのもやっていました。
外交官にとっては「相手への理解」というのがとても重要だと考えています。その意味で、私自身は、好奇心、つまり、「相手を理解しようとする好奇心」はある方かなと思います。あとは、比較的「現状維持」は好まない、というところですかね。もちろん、「現状維持」したほうが良いこともあるのですが、問題解決をするために、新たなアイデアを実行に移す、「改革」的な思考、姿勢はある方かなと思います。
圧倒的に「ポジティブ」と言えると思います。
「物事の捉え方」との関係では、外交という仕事においては、「危機的なこと」とか「どうしようもない問題」が発生することはやはりあるのですが、そういったときに、如何にそれをチャンスにできるか、「ピンチはチャンス」みたいな発想はすごく大事だと思っています。
時間やエネルギーを費やしていることとの関係でいうと、特に文化活動や交流といった仕事は、やり始めたらきりがない部分があるので、改善したい部分は、そこのバランスのとり方、つまり、「ワークライフバランス」ですね。国際情勢は24時間動いているので、週末でも夜中でも、何か重大な事件が起これば対応しなければならないのはそうなのですが、その中でも「バランスを取ること」が課題かなと思います。
いつも唱えているわけではありませんが、比較的親近感を感じるのは、西郷隆盛の「敬天愛人」ですね。私の名前にも、「敬う」という字が入っていますので。
その時は最高だと思っていたわけではないのですが、自分の人生ということで考えると、冒頭申し上げた、アメリカの農家に1年ホームステイしたときですかね。当時はSNSもインターネットもメールもなかったので、一年間、ほとんど日本人に会わず、日本語も話さないという経験をしました。一度だけ、米軍人とご結婚された日本人の奥様に、現地で「すき焼き」をごちそうになった記憶がありますが、それだけです。当時は、農作業などもやったので、「なんで自分はこんなところにいるんだろう」と思ったりもしていましたが、振り返ってみると、そういう経験は一生で二度とない経験なので、そういう意味においては「最高の思い出」と言えると思います。
マレーシアのビーチで、ローカルフードを食べながら、タイガービールを飲んで、友達とパーティをしたいですね(笑)。
※後編に続く
※後編は8月末に掲載予定です。ぜひお楽しみに!