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日馬をつなぐビジネスマガジン

星合 大
(伊藤忠マレーシア会社 社長)

今回「思い出のゴルフ」執筆に当たって、思いがけず自分の歴史を思い返す機会になりました。降旗さんからこのお話を頂いたときに、平々凡々の私に今まで執筆された方々の様に波乱万丈の物語を書けるだろうかと正直困りましたが、いざ書き始めて見ると自伝を書いているようで、それなりに楽しませて頂きました。皆さんも一度ご自身のゴルフ歴を思い起こされては如何でしょうか。次の執筆者に名乗りを上げて頂けると幸いです。勇気ある立候補お待ちしております。それでは拙い文章ですが最後までお付き合い下さい。

1. ゴルフとの出会い(1993年)<父の影響>

学生時代にゴルフ部でバリバリ鍛えていたわけでもなく、ただひたすらバイトに明け暮れていた星合青年にとって、ゴルフとはただ単に父をはじめ年配の人が好きなスポーツといったイメージでした。そんな私がゴルフを始めるきっかけとなったのは、1993年に今の会社に入社した際にゴルフ好きの父がお祝いにゴルフセットを買ってくれた事でしょう。ゴルフセット購入後、早速はりきって二人で初練習に行きました。まぁ当然ながら、右行ったり左行ったり、トップしたりダフったり、無茶苦茶でしたね。(ん?今と変わらない😢)でもそんな私を見ても「その内一緒にラウンドしよう」と、嬉しそうにしていた父の姿を覚えています。実現するのに20年も待たせてしまいましたが…。今年4月に80歳になった父ですが、COVIDが収まったらマレーシアでもラウンドするのだと意気込んでいます。実現させてあげたいものです。

2. 最初の10年(1993年~2003年)<社内コンペ専門>

クラブを手に入れたからと言って、すぐにゴルフに目覚めるなんて事はなく、せっかく買ってもらったゴルフクラブも箪笥の肥やしとなりました。特に入社して3年は月の残業時間が130時間超えという状況が続き、土日も祝日もなく四六時中会社にいるような状態でしたから、たま~に休日があっても疲労回復とばかりに終日寝てばかりで、ゴルフは一年に1度か2度ある会社の部コンペに参加するだけでした。腕前はゴルフを始めた時から全く進歩していませんでしたが、社内コンペを通じて上司や先輩からゴルフのルールやマナーを教えて頂きました。「打ったらクラブ数本持ってボールまでとにかく急ぐ」「自分の番になったらさっさと打つ」とにかくプレイ内容云々よりもプレイスピード第一!のゴルフでした。
4年目の1996年、新婚直後に夫婦で香港に駐在しました。当時、管理職クラスはHong Kong Golf Clubのメンバーとなりゴルフをしていましたが、若手という事で名門クラブに入会する事もなく、ひたすら仕事仕事…さらに帯同した新婚奥様のお相手もあり、とてもゴルフなんて考えられず駐在した3年間全くプレイ無しでした。

3. 中堅で5年(2004年~2008年)<接待ゴルフを覚えたものの…>

香港から帰国し営業中堅になっていた私は、ゴルフの技量が全く身についていないまま、接待ゴルフをしなくてはならなくなりました。これはマズイという事で少々練習を齧ってみましたが、2005年に長女が生まれると生活が家族中心となった事で(言い訳ですね)練習もおざなりになり100を切れないままでした。以前上司から教えてもらった「プレイスピード第一!」の教訓が生きており何とか失礼のない接待ゴルフだったとは思っていますが、ゴルフを楽しむというより仕事としてこなすという感覚でした。


4. マニラの6年(2009年~2015年)<練習の虫になり初の100切れ>

2009年4月にマニラに着任してすぐに、当社マニラ支店の同僚が歓迎ゴルフを催してくれ、Canlubang Golf & Country Clubでラウンドしたのがフィリピン初ゴルフです。気持ち良かったですねぇ!ココナッツやマンゴー、サンパギータに火炎樹、南国の植物がいっぱいの中、優しい女性キャディさんが一人ずつ付いてプレイする醍醐味を味わいました。ただ、醍醐味を感じていたのは最初の数ホールだけで、結局記念すべき初ラウンドは、炎天下の中18ホール初スルーゲームでヘロヘロ、131も叩いて身も心もボロボロになってしまいました。
これはいかんと一念発起。フィリピンはゴルフレッスンが安いという事もあって個人レッスンを受ける事にしました。磯貝先生という日本人の先生にグリップ、構え方、ボールの位置、パッティング、週一回とにかく一から教えて頂きました。更に先生に習う以外の日でも週に3~4回はDriving Rangeに通い、自宅居間でほぼ毎日パッティング練習、週末はラウンド。家族が赴任する7月までの4か月弱、上手くなりたい一心でゴルフ漬けの日々でした。そんな猛練習の甲斐があり、なんとか家族が来る前に人生初の100切りを達成し嬉しさよりもホッとしたのを覚えています。6年間のマニラ駐在中の総ラウンド数は数えていませんが、毎週土日どちらかは欠かさず、家族の一時帰国中は一日2~2.5ラウンドしていたのでスコアはだいぶ良くなりました。現在100前後をウロウロしている私からは微塵も想像できませんが、80台でも回った事もあります(ホントなんです、でも恥ずかしくてスコア言えません)果たして今後再現する事はできるのでしょうか…。

私が通ったゴルフ練習場は会社近くの街中練習場(Makati Golf Club)と郊外にあるArmy Golf Club。Makati Golf Clubは自宅から歩いて行ける距離で夜10時位まで開いていたので、残業した後でも気軽に立ち寄れ便利でした。150ヤードくらいしかない狭いDriving Rangeで、自動玉出し機もちょくちょく壊れるのですが、とにかく安さと利便さが一番でした。一方、車で20-30分の距離にあるArmy Golf Clubでは主に個人レッスン。(磯貝先生がいなくてもフィリピン人の先生もいて一回1000円程度で受講可)Army Golf Clubの方がフィリピンらしさが出ていたと思います。そこでは土の上にボールボーイ又はガールがボールを置いてくれました。土をお灸のモグサみたいに盛ってその上にボールを置いてくれるのでティーいらず。目の前に人が座っている状態でスイングするのはちょっと怖いし(特にシャンクが怖い)、ダフると土が彼らにかかったりして申し訳ないのですが、彼らにとって一回のボール置きでもらえるチップ(約100-200円)が大切だったりするのです。フィリピンでは壊れがちな中古機械買うより人を雇った方が安いんですね。

マニラで私がメンバーだったコースはCanlubang Golf ClubとSanta Elena Golf Clubの二つ。Canlubangの方がThe南国ゴルフコースといった趣で野性味が溢れていました。ココナッツやマンゴーがコース内のそこかしこに生えている為、キャディさんが私のドライバーを使ってマンゴーの実を叩き落として食べたりしていました(苦笑)。一方、Sta Elenaはそこまで南国風ではないもののメンテナンスがしっかりされていて常に最高のコンディションでプレーできました。特にSta Elenaは子供に対するゴルフ教育に力を入れていた為、子供ゴルフスクールや親子大会などを定期的に催しており、当時小学生だった娘にとっては暑い中重たいクラブを振り回すゴルフというものに今一前向きになれずにいたようですが、親ばか親父としては娘と回るラウンドは楽しかったですね。妻はSta Elenaでゴルフを始める前は私が週末ゴルフに出かけるのを快く思っていない節がありましたが、私よりラウンド数が増え、Sta Elenaのスタッフともすっかり顔なじみになる頃には、ゴルフは家族で楽しめる趣味になりました。ゴルフを始めるきっかけをくれた父とようやく一緒にラウンドしたのも良い思い出です。

【写真右→】
Canlubang Golf & Country Club。クラブハウスから18番ホールを望む。池を超えた先に横長のグリーン奥にバンカーがあり、グリーンオーバーした場合、返しのバンカーショットを池に向かって打つ事になるので緊張する。

Sta Elena Golf Clubのレストランから18番ホールを望む。ハイナンチキンライス
【写真左下↓】が美味しい。開放的なレストランではクリスマスパーティが開かれ、プロダンサー(男性には女性プロ、女性には男性プロ)のエスコートで楽しく踊れる。


【←写真左】Sta. Elena Golfの名物ランチ、ハイナンチキンライス。スープも美味しい。

ところでゴルフと直接関係はありませんが、私がフィリピンのゴルフ場で印象に残ったのが南国の草花でした。フィリピンの国花であるサンパギータや真っ赤な花をつける火炎樹(Flame Flower)が特に印象に残っていますが、地味に驚いたのは野生のオジギ草。私がよく足を踏み入れる?藪の中に生えていて、ボール探しの為にクラブで藪をつつくと葉をどんどん閉じていく…これが何気に楽しかった。

↑フィリピン国花、サンパギータ
↑火炎樹(Flame Flower)真っ赤な花が印象的!

マニラから東京に戻り流石にゴルフのラウンド頻度は落ちました。幸いにも立場上様々な接待ゴルフやコンペをする機会があったので、月に1-2回程度でしたでしょうか。半日で終わるマニラと違って日本のゴルフは移動➡前半➡昼食➡後半➡宴会➡帰宅と正に一日がかり。接待ゴルフの度に休日をまるまる潰すことになったものの、マニラ赴任以前とは違い比較的まともなゴルフが出来るようになっていた私は賞品を家に持ち帰ることも多くなり奥様も幸いご機嫌でした。
印象に残っているゴルフ場は、平塚富士見カントリークラブ(ゴルフ場というより望洋亭というレストランが好きでした)、取手国際ゴルフ俱楽部(プロトーナメントも開かれる名門)、東松山カントリークラブ(仲の良い会社の上司とプライベートで。東コースの9番ホールは全てのショットがうまく行けば池越えの2オンが可能。少しでも第一打をミスると3オン、下手をすると池に入れて大たたきというチャレンジ精神をくすぐるホール)

それにしても日本のキャディさんは本当によく働くなぁと感心します。マニラでは一人ずつキャディさんがつきます。人によっては傘をさしてくれるアンブレラガールまで雇ったりしていましたが、日本はキャディさん一人で4人の面倒を見るわけです。各プレーヤーを満足させ、遅滞なくプレイ進行するプロフェッショナルですね。

残念ながら日本にいた5年間に家族でゴルフをしたのは、北海道の富良野ゴルフコースでたった一回のみでした。けっしてメンテナンスが行き届いているとは言えないゴルフ場でしたが、前後にプレイしている組も無くのんびりとラウンドできて大満足でした。宿泊先は富良野プリンスホテル。このホテルでは朝は焼きたてのパンが食べられたり、夜はイクラなどの海鮮が食べ放題のビュッフェがあったりして食事が楽しくお勧めだったのですが、今はコロナによる需要減に対応する為休業中の様です。大変だとは思いますが是非復活に向けて頑張って欲しいです。

6. 三度海外へ <初のマレーシア駐在>

三か国目となる海外駐在はマレーシアでした。何度か出張では来た事があったのですが、いつもシンガポールを拠点にした日帰り出張ばかりだった為ほぼ予備知識はありませんでしたが、知り合いや前駐在員からマレーシアのゴルフ環境についてだけは聞いてはいたので、早くプレイしたいなと楽しみにしていました。ところがいざ2021年4月頭に着任してみると、ご存じの通りCOVIDに対応する為のMCOによりゴルフどころかプールやジムにも行けない始末。2020年から散々ご苦労されてきた駐在諸先輩方を前にすると以前のMCOの方がもっと大変だったと言われそうですが、楽しみにしていた反動でそれはもう意気消沈しましたね。
さて今日現在私がメンバーになっているゴルフ場は、The Royal Selangor Golf Club(RSGC)とTempler Park Country Club(Templer)の二つです。Templerは申込後比較的すぐにメンバーになれましたが、RSGCは4月に申込んだもののWEB面接が9月13日、会員になれたのが10月25日、12月10日にゴルフテストを経て、申込から約8か月後ようやくプレイする事ができるようになりました。待期期間が長かったがゆえにRSGCデビューした時は感無量でした。
本当に有難いことに多くの方々にラウンドに誘って頂いたお陰で、マレーシアでゴルフを始めてたった5か月の間に、これら二つのゴルフ場に加えてGlenmarie Golf & Country Club、Tropicana Golf & Country Resort、Sungai Long Golf & Country Club、Saujana Golf and Country Club、Amverton Cove Golf & Island Resort、Palm Garden Golf Culb、Kota Seriemas Golf & Country Clubといった様々なゴルフ場でゴルフを堪能しました。単身赴任という事もあり週末はほぼ毎週ラウンド、平日時間があれば練習。どっぷりゴルフ漬けで幸せです。でもクアラルンプールのゴルフ場ってどこも難しい…(と思うのは私だけ?)100超えなんてしょっちゅうですし、マレーシアベストも94止まり。もっと精進して自己ベスト更新を目指そうと思います。

7. これからのゴルフ <出会いを楽しもう>

残念なのはコロナの影響もあり予定していた家族の帯同が実現できず、マレーシアでゴルフを堪能しようと思っていた妻と娘が未だにプレイできていない事でしょうか。二人のゴルフセットは一足早く到着していますので将来帯同が実現した暁には、家族でラウンドを楽しみたいと思います。
自己ベスト更新に向けて努力する事もさることながら、私にとって一緒にラウンドしてくれる友人がもっと大切です。プレイは真剣に(特にグリーン上)やりながら、時には(いつもか?)下らない話に興じる。やっぱりゴルフって楽しいですよね。この楽しさを共に楽しめる友人をどんどん増やしていけたらと願っています。この「思い出のゴルフ」が出会いのきっかけになれば良いですね!
拙い文章を最後まで辛抱強く読んで下さりありがとうございました。