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日馬をつなぐビジネスマガジン

【前編】では、読者の皆様に少しでも大使を身近に感じていただくべく、「特技」、「座右の銘」、「ストレス解消法」などなど、これまで他のどこのインタビュー記事でも見たことがないような、様々な角度からの質問にお答えいただきました。そして今回【後編】では、外交官としての数々のご経験について、また、マレーシアや日馬関係への思いなどについてもお伺いしています。

編集委員

梅枝 雅子(国際交流基金クアラルンプール日本文化センター) 
吉川 里香 (マレーシア三井物産株式会社)


高校2年の時にAFS交換留学プログラムに応募し、高校3年の時に一年間米国に留学しました。この時に、アジア、欧米、中南米など他の国の人たちにも出会い、異文化コミュニケーションを体験したことが外交官を目指すきっかけになったと言えます。留学前は米国留学を希望していましたが、帰る頃には世界を体験できる外交官になりたいと考えるようになりました。

先ほど国益について話しましたが、ある意味公共サービスとして自分なりに国益を定義し、在マレーシアの日本大使館としては在マレーシアの邦人の生命と財産を守ることが最も重要なミッションと考えています。
一部では報道されていましたが、例えばインターナショナルスクールに通う学生の親御さんから学費の振込に関する被害の申告を受け、関係省庁への要請や学校との折衝を通じて解決を図ることもあります。
政府の役割には、先ずは平和・安全保障がコアとしてあり、軍事力や警察による国防、治安維持も必要な機能ですが、他には経済安全保障や日本経済の繁栄の観点から、日本企業が当地で活躍するための支援も含まれます。例えば、この国の政策が日系企業にとって差別的だったり、公益に関わるインフラ事業のように日本の経済にも裨益があれば大使館としても支援します。
経済・文化活動を通じた親日層の育成も重要な外交活動です。我々は国際機関ではないため、やはり日本社会との関係を基本軸として考えます。

過去の海外勤務では個別分野の担当官、例えばプレスや、パリ時代はエネルギー分野から持続可能な開発や規制改革、ロンドン時代は政務(情報収集、一部メディアリレーションズを含む)を担当しました。
現在は、政治・経済・領事・文化・広報までオールラウンドな対応が必要となりますが、自分自身は多様な部署で経験を積んだジェネラリストでもあり、様々な状況にも柔軟に対応できる方だと思います。またマレーシアは親日国でもあるため、日本国を代表した仕事は大変しやすい環境と感じます。

PHP研究所から出版されている「パブリック・ディプロマシー戦略」の一章にも記していますが、2010年の夏に官邸の初代・国際広報室長として外務省から出向し、ちょうど立ち上げをしていた中で2011年3月に東日本大震災が発生しました。福島の原発事故に関しては、当時はCNNやBBCなど海外メディアのジャーナリストを相手に、ライブを含めて通算100回以上のインタビューを受けました。
一番多い時には朝から晩まで一時間置きに取材を受け続けねばならず、そのうち私の携帯番号がメディア側に伝わると早朝5時に電話で起こされたり、とりあえず音声だけでもいいからという希望に対してタクシーの車中でも取材に対応しましたが、それはしんどい経験でした。
「日本政府は何かを隠しているのではないか」という推測による質問への回答や、「水素爆発」に対する説明を求められるのですが、「何かを隠している」という疑惑の念はインタビューを断ることによって増幅されると思い、当時は来るもの全てに応えていましたが、政府内で英語のインタビューに対応できる人間が他にほとんどいなかったことや、在外公館で英語で対応できる方がいたとしても、やはり、事態が急速に展開する中、東京の方が情報が多かったことなども背景としてあると思います。

最も重視しているのは、「創造的なコミュニケーション(対話)」です。相手を知って、交渉事であれば双方にとり受け入れ可能な解を見出す。インタビューであれば、相手の問題意識を理解して質問に答える。外交は交渉相手やオーディエンスとの「創造的な対話」と考えます。

大学卒業前に職業選択の意思が固まっていたので、就職活動はあまりしませんでしたが、もし外務省に入省していなかったら、海外メディアの特派員に関心がありました。
日本の国力は経済がベースであり、今の世の中であれば日本経済を復活させるような投資家なども選択肢として考えていたかもしれません。

東日本大震災後における各種対応の中には、例えば海外メディアから総理や官房長官への取材依頼であれば、クライシス・マネジメント下におけるクライシス・コミュニケーションとして、官邸で政治レベルの判断を諮る必要があります。当時、特に震災直後は政治レベルで国際メディアに人を割くことが難しい状況もあり、個人として政治レベルからの了解、委任を受けて困難な業務への対応を迫られた時は、自分なりに決意して全力で対応することとしましたが、振り返ればこれが最も重い決断だったと思います。

今日のマレーシアを形成し、国としての魅力でもある多民族国家を感じる地域に関心があります。今年の2月に訪問したサバ州コタキナバルの海鮮中華料理店や、イポーのチキンライスの他、ペナンのジョージタウンのように多文化が融合した地域は面白いと感じます。おすすめのところがあれば教えてください。

一つに絞るのが難しいですが、記憶に残っているのはイポーのチキンライスや、シャキシャキしたもやしが美味しかったです。

麺類が好きなので、ミーゴレンや地域によって異なるラクサ、プラナカンのニョニャ料理も好きです。当館では、公邸料理人が公式なレセプションで、例えばパイティー(ニョニャ料理定番の前菜)を出すこともあります。

着々と増えて、今では10着ほど持っています。近所のテイラーで会話した際に、「日本人の選ぶ色は地味だからもっと派手な色を着なさい」と助言を貰ったことがきっかけとなって、日本では着ないような色を敢えて選ぶようになりました。
確かに、カラフルなバティックを着用することでローカルの方との距離も近づき、会話のきっかけになることも増えました。

まだ行っていない場所が沢山あるので、マレー半島の東部や北部、サバ・サラワクの先住文化や自然を体験したいですね。

マレーシアの方は、日本語が出来ない方でも日本を訪れて堪能していますね。電車の正確な運行や日本人の礼儀正しさなど、ルック・イーストの精神にも共通する部分もありますが、日本のおもてなしや食文化に対する敬意を感じます。

日本文化は多面的なので、和食や日本酒、盆栽や合気道といった武術まで色々な引き出しがあり、大使館としても文化行事を更に拡大したいと考えています。ぜひJACTIMと連携して新たな文化行事を拡大したいですね。

一部の会員企業には施設の利用においてご協力をいただいていますが、最近の例として石垣・沖縄のフードプロモーションや、複合商業施設のアニメイベントなど、ローカルの集客効果を狙ったコラボレーションを増やしていきたいです。

昨年末の着任後、初めて迎えたラマダン明けのハリラヤ期間中に色々な方のお招きをいただきましたが、一日に数軒「はしご」しながら色々な家庭や施設で交流をさせて頂き、(多少食べ過ぎながらも)マレーシアのホスピタリティを体験したことが楽しい記憶に残っています。

ルック・イースト政策の提唱から40年以上が経過し、日馬の関係や立ち位置も大分変化した中で、日本にとっての国益や何等かのプラスになることが両国の良好な関係を進める上でも重要な視点と思っています。
一つの鍵は若い世代の交流を再活性化すること。当時はマレーシアとして若い世代を日本に派遣していた訳ですが、今はむしろ日本経済の再活性化のためにマレーシアと組んでどのような事業が出来るのかを考えたいですね。
最近ではインターナショナルスクールへの母子留学も増え、当地の大学への日本人留学生の数は昨年度25%増加したという統計もあり、日本の中でもマレーシア留学に対する関心が高まっていると感じています。
また女性の転勤者も増えており、スタートアップもシンガポールではなくマレーシアに進出する企業の増加などからも多くの可能性を感じますが、JACTIMとは鳴釜新会頭のリーダーシップの下で大いに連携し、新たな事業やプロジェクトを通じてマレーシアにおける日系企業のプレゼンスを飛躍的に拡大させる可能性を検討したいと考えます。
マレーシア日本国際工科院(MJIIT)や筑波大学に続く第三、第四の教育機関の創設にも取り組みたいですが、日本社会や若い世代が内向きになる懸念がある中で推進するのは簡単ではありません。
日本の大学の学長と話す機会もありますが、日本には理工系で英語のカリキュラムを持つ大学が非常に少なく、このままでは優秀なマレーシア人が日本に留学するチャンスも減り、マレーシアの大学自体のランキングも高まってきているため、日本は益々相手にされない結果となりかねません。我々はある種の危機感をもってこの状況を改善していく必要があると考えています。


今回の突撃レポートでは、四方大使に一問一答形式でたっぷりとお話を伺いました。真摯に、そして気さくに答えてくださる姿に、読者の皆さんにも“大使”という肩書きを超えた親しみやすさを感じていただけたのではないでしょうか。

四方大使、ありがとうございました!

以上